【日本の摂理歴史1】1985
1985年、日本に摂理の御言葉が伝えられる。
戦後40年が経ち、二つ目の坂の上の雲を目指しながら駆け上がり、プラザ合意に至る。
巷では、ファミリーコンピュータ(ファミコン)がブームとなり、トレンドセッター阿久悠の流行歌はひと段落したものの、TVを中心としたマスメディアは今よりもはるかに影響力のある存在として、席巻していた。日本では、8月につくば科学万博の開催、日航機の墜落事件が起こり、世界に目を転じれば、東西冷戦の只中、ソ連は、ゴルバチョフが書記長に就任、ドイツではヴァイツゼッカー大統領が「荒れ野の40年」の演説を行なった。
~(抜粋)~
ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
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そのようななか、韓国で伝えられていた摂理の福音が、初めて海外に宣べ伝えられるようになりました。近くて遠い国日本に・・・。
韓国は現在、キリスト教の世界においては、最も多く世界中に宣教師を輩出している国です。摂理においては、この年、韓国から宣教師さんが来る前から、異端のキリスト教が日本に来るとうわさされたと聞きました。
我々の牧師先生が、ソウルでたった一人で宣教を始めた78年同様、社会的な基盤が整っている日本とはいえ、1人、2人とこの福音が伝えられることの困難さは実際に経験したものでなくては語ることができないでしょう。
キリスト教不毛の地で、イエスキリストに対する信仰を抱き、多くの若者が聖書を読み、聖三位のことばに耳を傾けるようになったことは、一つの天のしるしであり、紛れもない実体の歴史です。