【日本の摂理歴史2】90年代 Ⅰ
日本に摂理の福音が伝えられて、30年あまりの月日が流れ、この文章を綴る私も、二十数年の摂理歴史を共にさせてもらいました。キリスト教福音宣教会も、今となっては子どもから壮年期、70代、80代の方までこの福音に触れ、人生の意味や天のみことばの理致を受け入れ、教会が栄え、の信徒が増えましたが、特に90年代前半は多くの信徒が20代でした。
初めて先生が日本を訪れたのは91年。100名強の信徒たちで迎えたようですが、この頃の教会は見せることができるものは「バイブルスタディ」しかありませんでした。しかし、信徒たちの信仰心はあつく、日々、多くの人達をこの歴史に呼んでくださいました。
使徒行伝2:46-47「 そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、 神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。」
同時に90年代に福音を宣べ伝えるにも、困難なことも多くありました。
92年、93年は統一協会に対する無節操な報道が続き、95年にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こりました。
純福音教会の趙 鏞基(チョーヨンギ)牧師の明け方のテレビ放映は続けられていたものの、韓国から伝えられたキリスト教といえば統一協会というのが多くの人の認識であり、今の40代、50代の方がもっている新しい宗教に対する印象については、この時期の日本の宗教事情を無視するわけにはいきません。今のこのご時世よりも宗教に対するイメージが悪かったのは、事実です。