- Home
- 日本の摂理歴史
カテゴリー:日本の摂理歴史
-
【日本の摂理歴史7】人生:摂理との出会い 90年代(私の場合) Ⅱ
<人生:摂理との出会い 90年代(私の場合) Ⅰ>の続き 問題は”人間にある”ということは分かったものの、このひとりの人間、もっと言えば自分自身を変化させることの難しさに直面し、身動きが取れなくなり…。とそのような… -
【日本の摂理歴史6】人生:摂理との出会い 90年代(私の場合) Ⅰ
<人生:摂理との出会い 90年代(私の場合)> 人生、一度や、二度は聖書を開く「時」があると云います。私も摂理でバイブルスタディを学ぶ前には、2度ほど聖書を開く「時」がありました。かといって、幼少期からキリ… -
【日本の摂理歴史1】1985
1985年、日本に摂理の御言葉が伝えられる。 戦後40年が経ち、二つ目の坂の上の雲を目指しながら駆け上がり、プラザ合意に至る。 巷では、ファミリーコンピュータ(ファミコン)がブームとなり、トレンドセッター阿久… -
【日本の摂理歴史2】90年代 Ⅰ
日本に摂理の福音が伝えられて、30年あまりの月日が流れ、この文章を綴る私も、二十数年の摂理歴史を共にさせてもらいました。キリスト教福音宣教会も、今となっては子どもから壮年期、70代、80代の方までこの福音に触れ、人生の意… -
【日本の摂理歴史3】90年代 Ⅱ
東京では、93年くらいから日曜日にスポーツを始めたり、聖歌隊などがコンサートを開催できるようになりました。私も、当時青山学院の友人にスポーツに誘ってもらい、宣教師さんと話もしながら、すぐに聖書を学ぶようになりました。 … -
【日本の摂理歴史4】御言葉と摂理の信徒たちの実 Ⅰ
摂理の信徒たちが最も大事にしているものの一つは、「御言葉」です。 御言葉、祈り、讃美、命の救い… 生活の中で、御言葉を実践すること、それもまた信徒たちの大きなテーマです。 黙示録には、「10:10 わたしは御使… -
【日本の摂理歴史5】御言葉と摂理の信徒たちの実 Ⅱ
ところで、日本の社会は核家族とか希薄な人間関係とか言われて久しいですが、地縁コミュニティも会社での人間関係も、その影響力が落ちており、世代間の価値観の不連続性は恒常的です。このような断絶を補完するように、アメリカなら教会…