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【長崎奉行所か、ハビアンか5】川島牧師との対話 Ⅰ
「摂理」の御言葉を学んだ信徒が他の教団の牧師と対話する機会も多々あります。ある信徒が川島牧師と対話した以下はその抜粋です。キリスト教のことを少し知っている方であれば、このような対話はどちらが牧会者なのかと疑問に思うかもしれません。
質問者:イエス様が雲に乗って来られるということについて、どう理解していますか?
川島牧師:終末の時にイエスが雲に乗ってくると聖書に書いてあるけど、キリスト教では、解釈はさまざまですかね。(中略)
だから、聖書はそういう世界観の中でできた文章なわけだから、イエスが死んで黄泉に下ってやがて天上にのぼって光の雲に乗ってやってくるというのは、我々から見たら荒唐無稽な話だけど、当時の人は違和感なく、当然神の子はそうでしょう、と。ただ、神の子がイエスかどうかというと、受け入れる人受け入れない人がいたけれど。でも、来るいうこと自体はちょうどロケットに乗って月に行って戻ってくるのと同じような、そういう感覚で記述を受け止めていた。
当時の人にとってはリアルな話だけど、我々にとっては神話でしかない。その神話の部分はいくらでも時代によって解釈しなおしている、というそういうこと。
質問者:聖書にある「霊」とは、ではどのようなものだと考えていますか。
川島牧師:聖書では、見えない働きを霊と呼んでいる。三位一体も霊だし、今流行りのパワースポットなんかもそうだけど。
質問者:人間個人の霊についてはどう考えていますか。
川島牧師:いるとは言い切れない。聖書のある箇所を読むと霊がいると書いてあるけど、ほかの箇所を読むとそれが通用しなくなる。だから、いると言い切ってはいけないと思う。
質問者:伝道の書には、「霊はこれを授けた神に帰る」とあるから、すべての人に霊はあって、死んだらその霊が天国に行くんじゃないですか?
川島牧師:その箇所はそうだと言えるかもしれないけど、そもそも死後の世界とか霊的なことにはあまり興味が無くて。