【長崎奉行所か、ハビアンか2】切支丹時代 Ⅰ

ザビエルから始まる切支丹時代は、日本に多くの信徒たちを生みました。
ザビエルを日本に来させるきっかけを作ったヤジロウから始まり、琵琶法師であったロレンソ、大村純忠、高山右近らキリシタン大名、時代と時の政情に身を委ねるしかなかった細川ガラシャや支倉常長などその数奇な運命は記録に残る一部であって語られない多くの信徒の義がこの日本に立てられたことは間違いありません。

同時に、イエス・キリストの福音を伝えるために、身を捧げ、風浪の中、喜望峰を回り、この東アジアの地に、来た宣教師の志も忘れるわけにはいきません。
日本人はこのような宣教師を大航海時代の先兵のような存在としてしか認識していませんが、彼らは家族と生き別れることも、再び故郷に戻ることもなく、何の未練もなく、福音を伝えることに身を投じた者たちです。

歴史的に日本は思想がたどり着く終着駅のような場所であるから、ひとつの「道」を宣べ伝えるために、それひとつを携えて、世界に出ていった日本人がほぼ皆無であるから、その心情が分からないのでしょうか・・・。


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