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はじめに
日本に摂理史の福音が伝えられてから、30年あまりが過ぎました。
摂理の歴史も一人から始まり、ひとつの種が芽を出し、枝を伸ばし、信仰を結実する種のような歴史が起こるようになりました。信徒たちは多いとも、少ないとも言えませんが、聖三位が共にして導いてくれた歴史であることは間違いなく、ただ感謝するばかりです。
一方、日本のキリスト教史にも迫害の歴史がありましたが、またこの時代にも、摂理の歴史の中でも、似たような現実に直面してきました。
P.F.ドラッカーは「経済人の終わり」の中で、全体主義の崩壊を予言しつつ、「キリスト教による新しい社会の創造は、教会の日常の形式が壊された時、言い換えれば、革命や迫害によって現在の秩序の維持が不可能になった時、はじめて成功の可能性がある」と述べています。
確かにキリスト教の歴史は迫害の歴史であり、相克の歴史です。それによって、より多くのものを得たし、より遠くに福音が広がるようにもなりました。
ただし、日本で迫害の歴史といっても、過去も現在も、教理面で異論を唱えらることでもなく、また対峙する主張も論点に相応しいというものもなく、「これは迫害なのか、または迫害に値する戦いなのか」と考えることがあまりにも多いのです。
このHPは、摂理史に対峙する意見や反対するものたちの言動や手段を紹介し、摂理史の信徒や摂理について知りたいまたは何かのきっかけで調べている読者の方に、一考していただきたく立ち上げたものです。