【手記】摂理を反対する人々から受けたことと伝えたいこと

作成者:20代 男性

 

2013年3月18日

一週間のフィリピンでの家族旅行を終え、日本に戻り、成田空港から家に帰ろうとした時、父から予想外の言葉が出てきた。

「今日は旅の疲れもあるから空港近くのホテルで休もう。」

私は父の言葉を不思議に思ったが、従わない理由も特になく、父の言うとおり行動した。

ホテルに着くと、すぐに晩御飯を食べ、両親は「疲れた。」と言って就寝してしまった。私は何か不思議な感覚になりながらも、旅の疲れもあって、ベッドに横になると、あっという間に眠りについてしまった。そして次の日の朝、目覚めると同時に、両親が言った。

「これからキリスト教の牧師さんがこの場所に来るから、あなたはしっかり話を聞きなさい。」

両親が何を言っているのか、全く理解できなかった。

「え!?今から?ここで!?」

「そう、あなたが旅行中に話してくれた、摂理で学んだことを、そのまま牧師さんたちに話せばいいから。」

「牧師さんたち?」

「そう、摂理のことをよくわかっている有名な牧師さんを3人呼んでるから、きちんと話をしてね!」

母の言葉を聞いた瞬間、今回の家族旅行の意味、旅行前から急に、「今まで学んできた聖書の教えを私たちに教えて欲しい。」と言ってきた理由がわかった。全て計画だったと思うと旅行中に父と母が見せた笑顔が思い出され悲しくなった。そして、これから自分が会う人がどんな人たちかすぐに理解できた。父は部屋から出ると携帯で誰かと連絡をとっていた。一時間もしないうちに牧師3人が部屋に突然入ってきた。

「あなたがYさんですね。お父さんとお母さんから話は伺っています。私は、とねり教会の張といいます。今日は摂理のことであなたと話をしようと思って来ました。きちんと話をしましょう。」

突然、部屋に入ってきて、きちんと話をしよう、と言うのはあまりに理不尽だと思いながらも、こちらは紳士的な態度で振舞おうと努力した。

「わかりました。今日はよろしくお願いします。他のお二人も牧師さんなんですよね?」

張清益(チャンチョンイク)牧師の右側に座っている男性が口を開いた。韓国語だったので張牧師が通訳していた。

「私はキムギョンチョンといいます。元摂理のメンバーです。先生のそばにずっといたので、先生のこと、摂理のことは誰よりもよくわかっています。あなたが知らないこともたくさん知っています。」

その後も通訳を介してキムギョンチョン牧師は話し続けた。その内容のほとんどが摂理の先生に対する悪口だった。先生のそばにずっといたというのが嘘だと思うぐらい、先生のことを全くわかっていないことに衝撃を受けた。

「この人は摂理で、先生のそばで一体何を学んでいたのだろう。」

その人からは先生に対する憎しみの感情が噴き出していた。私が先生のことを弁護する発言をしようものなら、さらに憤って怒鳴り散らすように私に向かってきた。時折、張牧師が話に入ってきて、

「お母さん、安心してください。息子さんは必ず取り戻すことができますよ。」

と慰めるような言葉をかけると、母は泣きながら、

「お願いします!」

と下を向き涙を流していた。それを見ながら張牧師の左側の小岩と名乗る50代の牧師がメモを取っていた。後から聞いた話だと、私の心理状態の変化を記録していたようだ。この状況を、果たして正々堂々とした話し合いと言えるのだろうか。5対1で先生と摂理を悪者だと決めつけて話を一方的にしていく状況を見て、私は心の中で思った。

「ダメだ、こんな話し合いなら、家に戻って、落ちついて話し合った方がはるかにいい。」

時計を見たらもう12時だった。

「もうだいぶ話しましたね。ちょうどお昼の時間なので休憩を取って、また話し合いませんか?」

「そうですね、一旦休憩を取りましょう。」

張牧師も疲れた表情を見せていた。

「昼食ぐらい両親とゆっくり食べてもいいですか?」

「わかりました。」

そう言って3人は部屋から出て行った。この機会に両親を説得しようと思った。

「お父さん、お母さん、僕は、こんな環境にわざわざしなくても摂理のこと、先生のことをきちんと話をするよ。むしろ、こんな一方的な話し合いの場で、互いの理解が深まるとは思えない。」

「理解なんて必要ない。おまえが信じている先生が一体どんな人間なのか、ちゃんと知る必要があるんだ。」

父もキム牧師同様、感情が高ぶっていて私の言葉が届いていない気がした。

「お父さん、落ち着いて聞いて欲しい。摂理の中で言われてる先生はもちろんのこと、摂理の外で先生がどのように言われているのか、僕は以前から知っていたよ。だから今日、キム牧師や張牧師から聞いた話は目新しいものは一つもなく、むしろ今の摂理のことは僕の方が知っているぐらいだった。先生のそばにいたと言うけれど、先生のことを正しくわからなくて摂理から離れて行ったんだと思うよ。」

「おまえは・・・・きちんと牧師さんたちの話を聞いていたのか!!!」

今の父に何を言っても伝わらない気がした。

「この話し合いは何時まで続けるの?」

「今日終わらなければ明日もやろう。ホテルには明日も明後日も使えるようにお願いしてあるから。」

その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。

「お父さん、仕事は?」

「おまえのためだ、辞めたよ。」

母がまた泣き出した。心の中が正常を保てなくなっていた。

「一体なんなんだ、なんで僕の家族がこんなふうにならなくちゃいけないの・・・」

摂理を反対する人たちに憤りを感じた。摂理と先生が間違っていると伝えたいなら私に直接言って一対一で正々堂々話し合えばいいのに、子を愛する親を利用して、私を何がなんでも摂理から引き離そうとしている、その手段が気に入らなかった。

「大学の卒業がかかっているから明日は大学に必ず行かないといけない。」

実際にその必要があったので、これを理由に家に戻ろうと思った。親は最初は納得していなかったが、ここは私も譲れない、という思いでその必要性を何度も説いたところ、親が新しい提案をしてきた。

「わかった、一旦家に戻ろう。だけど、明後日からは牧師さんたちの教会に言って今日の話の続きをしよう。」

その条件を飲まない限り、ここから出るすべはないとわかり、ただ無言で頷くしかなかった。

 

2013年3月20日

AM7:00

祖母が心配そうに声をかけてきた。

「こんなに朝早くからどこに行くの?」

「心配いらない、ちょっと夜まで出かけてくる。」

父は答えるとすぐに車に乗り込み、私も強制的に乗せられ、車は出発した。1時間ぐらいで到着したそこは、張牧師のとねり教会だった。中に入ると一昨日と同じ3人が待ち構えていた。

「おはよう。今日は早速、この資料から見てくれ。」

張牧師は距離を縮めようとしてなのか、初回より親しげに話しかけてきた。先生に関する記事や摂理とは全く関係ない他宗教の事件に関する記事をドンと私の目の前に置いた。私が目を通していると、また張牧師が話しかけてきた。

「摂理も同じだよ。いつか必ず同じような事件を起こす。○○○教が人を殺したようにね。」

「そんなこと絶対に摂理はしません!」

あまりにも軽率な言葉に、思わず私も感情的になってしまった。

「今はね。これからはわからないよ。」

どうして他団体が起こした事件が摂理でも起こると言えるのか、全く摂理を理解していない張牧師を見ながら、言葉を失い、呆れてしまった。その後も摂理と先生を悪評する映像や文章を見せられた。メディアが視聴率を獲得するために意図的に作ったものであることがわかったし、反論出来るところはその場で反論したが、前回同様、相手も親も聞く耳を持たず、一方的な話し合いが夕方まで続いた。帰る時間になり疲弊した私を見て、キムギョンチョン牧師は満足そうな顔をしていた。その姿を見ながら、ふと聖書でイエス様が語っていた言葉が思い出された。

『心からあふれることを口が語るものである。善人は良い倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。』

私は心の中で考えた。

「私の目の前にいるのはキリスト教の牧師さんのはずだ、なのに先生の悪口しか言わない。人生に希望を与えるような話が一つでもあっただろうか。一日中話を聞いたが心に力をくれるような言葉が一言でもあったのか!?先生の言葉は一言でも人生に希望を与えてくれるのに!!」

家に帰る車の中、三人とも疲れ果てて話す力もなく、車が走る音を聞きながら、気づかないうちに私も眠っていた。

 

2013年3月22日

一日空けて、再び牧師との話し合いのため、早朝に出発。二時間かけて神奈川の横浜栄光教会に到着した。中で待っていたのは小岩牧師一人だった。張牧師とキムギョンチョン牧師の姿はなかった。その日は最初から最後まで小岩牧師が話した。その内容は、カルトと呼ばれる団体の事例を集めながら摂理も同じ類であると主張し続けるものだった。私よりも両親を不安にさせるために話しているようだったし、資料を両親に与えて、長期的にやっていきましょう、と促していた。

「こんなことをいつまで続けないといけないのだろう・・・」

先が見えない話し合いに自然とため息が出てきた。その日の帰りの車中では、父も母も最初の時よりは少し落ち着いていた。そして母の口から思いもよらない言葉が出てきた。

「お疲れ様。大変だったよね、この数日間。あなたが信じる先生の悪い情報ばかり聞いて。明日からは家族で話し合っていきましょう。私たちもこの問題にしっかり向かい合ってYを理解できるように頑張るから。」

この言葉を聞いて、一気に肩の力が抜けた。第三者の介入なしに家族で話し合うのが最優先にすべきことだと、私は今回の件に限らず今までそう考えてきたからだ。次の日から毎朝、両親との話し合いが始まった。

 

2013年5月24日

3月から2ヶ月間、両親と毎朝話し合いの時間をもってきた。父は、世の中の多くのカルト集団の現状がわかる資料やマインドコントロールに関する本を何冊も私に読ませた。一方、私は摂理の内部の状況や、今まで私が学んできた教えを伝えた。摂理で7年間体験したことを事細かに話し伝えることで、両親が勝手に作り上げた摂理の団体像を正しい情報でアップデートして欲しいと願った。摂理を反対する人たちの話を鵜呑みにし、その言葉を一つ一つ積み重ねて作ってきた両親の摂理という団体のイメージは、実際のそれとは明らかに違うものとなっていた。

「摂理では先生が言うことが絶対で、逆らうことは許されないんだろ?」

父が息子を心配し訊いてくれる質問だとわかっていながらも、あまりにもデタラメな出処のわからない情報に呆れて数秒言葉を失ってしまった。

「・・・・お父さん、そんなことあるわけないでしょ。僕が人に縛られて生きるのが嫌いなのを、子供の頃からずっと見てきたよね。」

「そうだよ、お前は昔はそうだったんだよ!」

「『昔は』じゃなくて今もそうだよ。人に縛られて生きるのは昔も今も大嫌いなの!」

母もその言葉には納得がいくのか、首を上下に動かしている。

「逆に質問するけど、そんな自由人な僕がどうして摂理にいると思う?」

「・・・・・」

父は考えてはいるようだが口は開かない。

「摂理が自由だからだよ。先生は縛らないよ、僕たちを。」

固唾を飲んで両親が私を見つめる。その先の言葉が気になっているようだ。

「聖書にこう書いてある、『真理は人を自由にする』と。本当に真理を掴んだ人はね、神様が作った法則の中で正しく生きるから、むしろ今まで以上に楽しく生きがいを感じて暮らせるよ。」

まだ両親は理解できていないようだった、しかし私の心の中は満足していた。言うべきことは言った。これは本当に自分自身が摂理で体験したことだったから、確固たる自信があった。そして、できるならば両親にも、真理をわかって生きるこの味を体験して欲しいと切に願った。

「お母さんはね、ただ、あなたが幸せになってくれればいいの。でも摂理にいたら幸せになれないんじゃないかって不安なの。献金があるんでしょ?お金がかかるじゃない、そこにばかり投資して生活がまともにできるの?」

「お母さん、落ち着いて。献金は強制的なものではないから、みんな、まごころでやっているものだよ。もし強制的に多額を献金しなければいけないっていうルールだったら、そんなところは大昔に出て行っているよ。」

顔の口角を少し上げて、できるだけ明るく話そうと思った。母は必要のないことまで心配してしまっている。その姿が、なんだかかわいそうだ。摂理を反対する人たちに会ったら言いたいことが一つ増えた。根も葉もないことをベラベラとしゃべらないでほしい、と。

「むしろ、先生は生活がまともにできなくなるぐらい献金することを止められる方だよ。今少し話しただけでも、お父さんお母さんの理解が実際の摂理のものとは違うことがたくさんあったよね?これからは、話し合いを通して、正しく摂理を理解して欲しい。」

初めに家の中を覆っていたピリピリとした空気がいつの間にか消えていた。

「本音だな・・・。やっぱり家族だ、本音で話し合おう。」

そう言って、父は、

「明日もよろしくな。」

と私の肩をポンっと叩くと部屋から出て行った。私はその父の後ろ姿を見ながら、家族の距離がグッと縮まったのを感じた。

その後、話し合いは毎朝続いた。時に感情的になる父と母ではあったが、摂理の信仰は最初に想像していたものとは違う、ということを二人は口には出さないが心で感じているようだった。3月の時のあれは話し合いではなかったと、互いに再確認した。きちんとした話し合いを二週間続けてみると、やはり家族、言葉というよりは、もっと深いところで繋がり始めていた。

「最初からこうやって話し合うのが一番良かったと、今僕は感じてる。」

「そ、そんなこと言っても、おまえは、ああでもしないと話さなかっただろ?違うか?」

父の目を見ながら私は冷静に答えた。

「僕が言いたいのは、今回の摂理のことだけではなくて、何か問題が起こったら家族以外の人に話す前に家族でしっかり話し合う関係性を作っていればよかった、ってこと。」

「それは、お父さんも私も反省しています。これからはしっかり話し合っていきましょう。家族の関係をもう一度、一から作っていきましょう。」

母の笑顔を見ながら、これから先この家族でなら、どんな問題が起こっても共に助け合って乗り越えていける、と感じた。今回の出来事は、様々に苦しいこともあったけれど、過ぎ去ってみれば、父と母の私に対する愛情が一番強く心に残った。やはり親というのは、世界中の誰も味方になってくれなくても子供の味方になってくれる存在であるということを、知ることができた。

 

2015年11月16日

あれから二年半が経った今、両親は摂理のこと、先生のことを悪く言わなくなった。父も母も先生の御言葉を今学んでいる。家族の毎朝の話し合いが始まってちょうど一年ぐらいが経つ頃に父が言っていた言葉が、私の心に強く残っている。

「お父さんは、おまえが持ってるまっすぐな性格、そしてそれを実践する推進力はすごいと思ってる。世間から親ばかだと言われても、自信を持って自慢できる。だからな、お前には摂理のことも、世間に大胆に話せるようになって欲しい。お父さんはその練習台と思えばいい。」

子を思う父親の姿というのは本当にかっこいいと、この時、心底思った。そして最近では、父はこんなことまで言ってきた。

「先生のこと、信じてるんだろ。好きなんだろ。じゃあ、自信持って、胸張って、その道を行けばいい。最初はお父さんも止めようと思ったけど、おまえ、止まらないからな。ほんと、昔と全く変わってないよ。」

父の言葉がうれしくて自然と涙が流れていた。

「まだ、お母さんは納得できてないだろうな、これからも続けて話してあげてな。先生の大事な精神だろ、『あきらめないで、最後まで』って。」

笑顔で話す父、それに呼応するかのように家の中を照らす蛍光灯がいつもより部屋全体を暖かい光で覆っていた。

今までの家族の記憶が走馬灯のように流れていった。保育園に通っている頃の記憶から高校の卒業式まであっという間に。

その中で、私がいつの間にか家族に心を開かなくなってしまっていた理由がわかった。

傷を受けて、それが根強く残っていたのだ、奥深くに。まるで冬に熊が冬眠するようにひっそりと。

その傷は母の言葉と父の暴力によるものだった。育児による疲れと行き場のない孤独さ故だったのかもしれない。仕事から疲れて帰ってきて、休もうとした時に言うことを聞かず、だだをこねる私が原因だったのかもしれない。いずれも回数が多かったわけではなかったが、私の心の門を閉ざすには十分な力を持っていたのだろう。

その重たく冷たい門を開けることができたのは、先生のおかげだ。先生から学んだ神様の愛が私の奥深くで閉ざされていた心の門を開いた。この二年間の話し合いも、それがあって成されたことだった。

今では確信できる。そのこともいつか父と母に話そう・・・・。

回想が終わって現実に戻ると、父が話している声が次第に明確に聞こえだした。

「今までは摂理の外部の情報、悪く言っている情報だけを聞いてきたけど、こうやって摂理のことをよくわかってるYから内側のことも聞くと、印象がだいぶ変わったよ。」

「まさか、お父さんがこうやって学ぶようになるとは、二年前のあの時は思いもしなかったけどね。」

「これからもよろしく。年とっちゃってるから記憶力とか理解力は若者に比べると劣るから、おまえが話してくれてもすぐに理解できないこともあるけど、理解できるように努力するから、お願いな。」

父はその言葉通り、私が見ていないところで聖書を一生懸命読んで、私が伝える摂理の御言葉を理解しようと努力していた。その姿を見て、子供を理解しようとする父の愛を感じ、涙が流れた。

 

<終わりに>

私がこの出来事から学んだこと、そして同じような状況にいる個人、家族に伝えたいことが一つだけある。それは、親子の関係を普段から見直しておくこと。表面上繕った家族の関係ではなく、互いのことを理解しようと心の内をさらけ出して話し合える関係。子供は親のことを理解しようと最大限努力し、親も子供の話をきちんと聞いて、自分の考えを押し付けるのではなく、素晴らしい人格を持った一人の人として見ることができる、そのような親子の関係を目指していってほしい。そういう心の固い絆で結ばれた家族は、問題の大小に関わらず乗り越えていけると思う。

私の家族は摂理のことがきっかけで心を開けて話すようになった。今では、過去の辛かった出来事を笑いながら話し合えるし、将来の夢に関しては真剣に相談に乗ってもらっている。結局最後には、摂理を悪く言っている人たちではなく、息子であり摂理を真剣に伝えようとする私を、両親は信じてくれた。そのことに心からの感謝を捧げたい。

また、摂理を悪く言う人たち、その中でも特に摂理のメンバーの親と手を組んで反対してくる人たちに対して、最後にどうしても伝えたいことがある。

それは、家族の中にいきなり入ってきて、「家族が今のようになってしまったのは全部、息子さんのせいです。そして、その息子さんがそのようになってしまったのは、全て摂理のせいです。」と、間違った情報で両親を不安にさせ、「私はその息子さんを助け出す専門家です。私の言う通りの方法でやれば必ず息子さんを救出できます。」と、間違った手段で家族の関係を壊す行為を止めて頂きたい。私の家族は、その間違った手段で大きな苦痛を受けた。どうか、同じように苦痛を受ける家族がもうこれからは出てこないようにと、切に祈る。

以上


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