【書評&コラム】黄金の十代かガラスの十代か・・・

論語には、

子曰く 「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る
六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩を踰えず」。

孔子は、15で学問を志し、30にして自立、50にして天命を知り、70に道に外れず、
というところでしょうか。

摂理の中では、
人生、十代は、「黄金の十代」であり、これほど、大事な年代はないのではないかというくらい、先生の口からは、言葉が出てきます。
個人を振り返ってみると、それなりに考えたとは言え、あまりにも放蕩で、「十代にこうしたら良い」なんてアドバイスは、できそうにありません。

さて今日は、この十代を取り巻く環境で重要なものをいくつかピックアップしてみます。
都心と地方では違うこともあるし、一方、同じような問題もあります。
まず、中学校、高校はどうでしょう。中学・高校時代は「大事なことは、全部部活で学んだ」
なんて方も結構多いのではないでしょうか。 日本の教育は中学・高校での教育が正直、かなり歪んでいると個人的には考えています。

一つには、あまりにも閉ざされた空間と人間関係の中で、多くの時間を過ごさねばいけないこと。誤解を恐れずいえば、見えない獄の中で時間を過ごすようなものです。接する大人は、学校の先生や塾の先生、病院のお医者さんくらいではないでしょうか。
ドイツではこの多感な時期を多くの世代に触れさせるように工夫しています。この6年の期間はあまりにも長く、日本人の価値観の形成に仁大な影響を与えています。同じような価値観の人間に育てるには都合が良いかもしれないが、「多様性」とか「異文化」「異なる価値観に触れる、理解する」とかは無縁の学習環境だと言わざるを得ません。

次には、社会を生きていく上で、必要なことを全く教えていないこと。
例えば、
「お金のこと」:税金のことや人生でお金をうまく使わないと生活できないことなど。
(ちなみに、一人の生徒が公立の学校で勉強するには100万円強かかる)
「民主、市民として生きること」:自由、責任、公平など基本的概念が身についていない。
「宗教」:何も教えないまま、選ぶのは自由、信教の自由を謳う。
「コミュニケーション」:価値観や民族が違う人たちとの意思の疎通、問題解決
の方法などを教えない。

これらは、現代社会では、必要不可欠な知識とスキルですが、通常、会社に入社してしばらく経った頃に気がつきます。「俺(私)は、社会で必要なことをなんも学んでなかった」と。もちろん、これらが学校で学ぶものでもなく、学校に押し付けるわけでもないですが、そうだとしても、ちゃんと教えてくれる人や環境が整っていないのは事実です。

また、3つ目は、個人の心と体、そして人間関係を中心とした問題。いじめ、抑うつ、摂食障害、自殺の問題、性の問題、喫煙・飲酒・薬物乱用など切がありません。思春期の心と体の不安定さをどのように克服して、自分を磨くか。自立・セルフコントロールを促す仕組みは体系的に提供されることないので、受験勉強に集中させること、スポーツに打ち込むことで、養うというのが実情でしょう。

御言葉に触れる機会を得た人達は、聖書の言葉を実践し、祈り、自分の生活・人生を思惟し、神様と対話しながら、外なる人と内なる人を共に成長させることができます。だからこそ摂理の十代は祝福であり、黄金といわれるゆえんでもあります。これらを克服した経験やすべを知らないと、自己肯定感が低く、自己管理ができず、希薄な人間関係になり、結局は、ガラスの十代になってしまいます。
これらの問題はとても大きく、欧米でも同じような問題を抱えていますが、学校の環境については、日本より大きく改善されている国も多いです。
そして、改めて認識しておきたいもう一つが、「母親と十代の子どもの関係」「父親と十代の子どもの関係」です。特に、親子の対話と距離の問題。
例えば、40代のお母さんと15歳の娘がいて、「門限10時でしょ。どうしてこんなに遅いの?」と母が娘に聞くと、娘が「そんなの私の勝手でしょ」と言う。今のお母さんはこのやり取りに殆ど対応できません。なぜか?自分もそのようにしてきたからです。家族そろって、家庭のルールを決めたり、対話することがほとんどありません。普通の日本人は、ルールに従うことは慣れているけれども、ルールを自分たちで作っ たり、そのルールや決まりについて話し合うことなどほとんどありません。

家庭のレベルから国家のレベルまで、これと同じくこうです。また父親は娘が学校で、家で、友達とどんな生活しているか、全く分からない・・・。昔、宣教師さんに「日本には父性愛がない」と言われました。ないわけではないと思うけれども、子どもに伝わっていないというのはあるのではないでしょうか。

また逆の問題も多くあります。あまりにも親と子どもが依存した人間関係をずっと続けることです。これは、欧米よりも圧倒的にアジアに存在する問題であり、仲が良く、何でも話せる関係というのは悪いことではないですが、本当の意味での信頼(関係)は親も子も成長するに従い、自立していくものです。「父性の復権(林道義)」では父性とは、無条件の愛、善と悪の価値観を与えること、そして、母親を子どもと離すこととありました。つまりは自立させてこそ、親だということです。これらの状況が日本の病理の中核の一部をなしていると言っても、言い過ぎではありません。

私たちの先生は対話をし、時間をともにしてくださり、十代を本当に親のように導き、大事にしてくださる。そして、一人の「自立した人」として、育ててくださった。親が子供に接する接し方・育て方は、親がどこかで気づき、意識して変えない限りは、ほとんど遺伝と同じように、自分の親から受けたとおりに、繰り返し、自分の子どもにもそのようにしてしまうものです。神様の考えで、一人の子どもを責任をもって育てる、そして自立させること。

日本の親が今一度、考えねばいけないことでしょうか。


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