【手記】日本基督教団所属・愛澤豊重牧師による監禁・脱会説得に関する事実報告

作成者:40代 女性

【日本基督教団所属・愛澤豊重牧師による、キリスト教福音宣教会信徒Sへの監禁による脱会説得に関する事実報告】
今から17年前、1998年7月25日から8月17日の24日間にわたって、私は、立川の短期賃貸マンション「東邦アメニティ(立川市高松町2-26-3)」10階1004号室で、日本基督教団所属・愛澤豊重牧師から、監禁による脱会説得を強いられました。摂理に出会ってから3年半を迎えた、25歳の時の出来事でした。
私は1998年7月25日の日曜日、親から「家族で買い物に行こう」と誘われ外出しました。立川に父親が仕事で使うウィークリーマンションがあり、その下見も兼ねるから、立川のデパートで買い物をするという話でした。

しかし買い物と昼食を済ませた後、そのマンションの部屋に入ると、突然鍵が掛けられ、狭い空間に閉じ込められました。

そして、信仰についてよく考えるために、父の知り合いの牧師と面談するように言われ、私はやむなく応じました。

 

しかし、翌日そのマンションを訪ねてきたのは、愛澤牧師でした。

父と愛澤牧師が知り合いだった事実はなく、父が仕事でそのマンションを使うという話も虚偽であったので、愛澤牧師に会わせるために私を騙したのだということが、その時に分かりました。

私は愛澤牧師が監禁による脱会強要を繰り返していたことを知っていたので、彼との面談を拒みました。しかし、両親は愛澤牧師との面談を強要し、会いたくないという言い分は一切認められませんでした。

 

その日から毎日のように、どんなに拒んでも、愛澤牧師による一方的な鄭明析先生に対する批判と、私の信仰を非難する話を、1日に2~5時間聞かされました。
読まされる資料はすべて教会を悪評するもので、外出も電話も一切禁じられている中では、その真偽を確かめることは不可能でした。
愛澤牧師の誘導する通りに反応せずその話の流れに逆らうと、鋭く睨みつけ、苛立った様子になり、攻撃的な口調で責められました。

それでも私が粘り強く正当な反論をした時には、愛澤牧師は顔を赤らめて激昂し、机を拳でドン!と叩きながら、「あなたと話していると不愉快になる!」と声を荒げました。

そのように高圧的なので、非合理な内容だと思っても一方的に話を聞かされるしかなく、納得のいくような対話ができる相手ではありませんでした。
ある時は、愛澤牧師の摂理の教理批判に対して、私が聖書を開いて反論し、彼が返答に窮すると、パッと話を切り上げて帰ってしまい、次に現れた時には、その内容には一切触れないまま、全く脈絡のない別の批判資料を持ちだして攻撃を始めました。
またある時は、愛澤牧師が一方的な批判をしたまま、こちらの意見は聞かずに帰って行き、その後同席していた親から私の見解を聞かれたので話すと、その話が陰で愛澤牧師に伝えられており、愛澤牧師は次に来るなり、私のその見解を否定するための言い分をまくしたてました。
対話とは名ばかりで、あまりに操作的で不誠実なやり方ではないかと、しばしば憤りを感じましたが、面と向かって相手の人格的な弱さを指摘することは、いやしくも信仰者である自分には避けたいことであり、また、手段を問わぬほどに必死な親が気の毒でもあり、結局最後まで愛澤牧師らのやり方に付き合いました。
愛澤牧師はまた、統一協会の教祖の淫乱な実態を暴露した批判本や、カルト宗教によるマインドコントロールによって信者が正常な判断能力を失っていくことを説いた書籍を、24日間に10冊ほど読ませました。
その内容は恐ろしいもので、それを読んだ両親は、日に日に思考が追い詰められ、視野狭窄に陥っていきました。
そのマンションに入った当初、愛澤牧師との話し合いを親に断りきれなくなったとき、私は父親に、まず私から摂理の聖書解釈を聞いてみてほしいと言い、5~6時間かけて一気に概要を話して伝えました。
慎重に聞いていた父は、「特におかしい話だとは思わない」と言い、しばらく目を閉じて考え込んだ後、「もしもお前とあの牧師さんの話し合いが物別れに終わっても、お父さんはお前の教会でこの聖書の話を全部聞いてみるよ。一回2時間くらいなら聞かせてもらえるだろう?教会ではタバコはダメだろうからな。お父さんはタバコを吸わないのは2時間が限界なんだ。」と話しました。

その夜は深夜まで、信仰や家族のことについて深く対話し、とても良い時間を過ごせて主に感謝しました。
しかし、翌日から愛澤牧師による一方的で執拗な批判の攻撃が始まると、数日後には、両親は心理的に追い込まれ、私に何としても摂理をやめさせるという考えしか持てなくなっていました。

その状態で説得を長引かせても家族を苦しめるだけであり、もはや状況を好転させることは不可能だと覚った私には、「教会に通うのをやめます」と偽る以外、その監禁状態を終わらせる術がありませんでした。
愛澤牧師は、「一人で祈ったりゆっくり考えたりするゆとりがないように、なるべく狭い部屋を借りるように」と親に指示していました(後日、父親談)。

6畳ほどのワンルームには布団が2組しかなく、一家5人でそこに寝泊りするには、ソファベッドに布団無しで母が、いちばん長身のきょうだいが布団の一部を使って玄関すぐの狭い通路に、父ともう一人のきょうだいと私が、二組もない布団をつなげて残りのスペースで休むしかありませんでした。
昼間も常に家族の誰かが部屋にいるので、狭いトイレ・バスルーム以外には、24日間、一人になれたことは一秒もありませんでした。

また、母は、私が逃げようとした時に備えて、私を縛るために、大きなスカーフを何枚か持って来てあったと、後で私に明かしました。
また、 「非日常の中で本人を追い詰めなければいけない」という愛澤牧師の指示(後日、母親談)で、食事を作ることは基本的に禁止されており、毎日ほとんど同じ店のお弁当とファミレスの食事でした。
自宅には高齢の祖母が一人で待っていること、親もきょうだいも全ての仕事と日常生活を絶ってこの説得に参加していることなどを思うと、ひどく心が痛みました。
母親は、娘をカルトに奪われたと言って、朝起きると、窓の外に向かって「S!帰ってきてー!!」と泣き叫び、父やきょうだいからも泣かれたり、なじられたりしました。
私は、愛する親きょうだいが自分のために大きな犠牲を払い、嘆き、号泣する姿を見ながら、理解されない無念さと自分のために悲しませているという申し訳なさで、胸が締め付けられる思いでした。
だからといって、自分という人格存在の核心に関わる信仰を、愛澤牧師や家族の言いなりになって、一時の異常な環境の中で断念するわけにもいかず、血を吐くような苦痛と葛藤の中で過ごした24日間でした。自宅に戻った時には体重が5kg落ちていました。

私が監禁から解放された同日午後、私と入れ替わりで、大学の後輩がそのマンションで、やはり愛澤牧師から監禁による説得を受け、脱会していきました。
後日その元メンバーに大学でバッタリ会った時、愛澤牧師についての印象を尋ねると、「んー、最後まで好きにはなれなかったなぁ・・。いつもタバコの臭いをプンプンさせて来て、一度もお祈りもしなかったし・・。自分は摂理をやめてもキリスト教の信仰は持ち続けるから、通う教会をさがしているけれど、愛澤のところにだけは絶対行かない。結果的に要求はされなかったけど、もし最後に愛澤から、教会のメンバーのリストを書けと言われたら、『どうしてあなたのやっていることに僕が加担しなくてはいけないんですか!』と、絶対に断るつもりだった。脱会するのにあのやり方しかないとは、どうしても思えない。」と吐露していました。

私が摂理をやめると言った翌日に、私の家に密告の電話をした元友人メンバーのKが、仙台から私に会いに来ました。彼女は私のわずか1カ月前に同じ場所で監禁され、脱会していました。
彼女が脱会を決意すると、愛澤牧師が、「自分だけ脱会して、それでいいのか」と迫り、教会の全メンバーの名簿を書くよう要求し、Kは、「最初はためらったけれど、愛澤牧師の言葉に従って名簿を書き、その指示のもと数人の信徒の家に密告の電話をした」と、私に打ち明けました。
私の父は、密告の電話を受けた後、愛澤牧師の立川教会を訪ね監禁の説明を受けた時、この横柄な人格では無理だ、娘を説得できないと思い、しばらく悩み、しかし「東京には他に摂理について詳しい人はいない、脱会させるにはこの方法しかない」と言われ、仕方なく依頼したんだと、後に私に話しました。
私が監禁から解放される時、愛澤牧師から、立川教会で行われる水曜夜の聖書勉強会に通うよう勧められました。気は進みませんでしたが、断ると親が心配すると思い、2回通いました。
一回目、開始時刻より早く私が到着すると、私の脱会に気を良くした様子の愛澤牧師は、長年の監禁説得活動で集めた元摂理メンバーの御言葉ノートや、私の家に密告した元メンバーのKが私の脱会を喜び愛澤牧師に感謝を綴った手紙などを披露し、それまでの自分の監禁説得活動の実績を誇り、饒舌でした。
そして、タバコをふかしながら、「オレなんかけっこう単純だからね、イエスが雲に乗って来るっていったらそのまんま信じちゃうけどね。」と重みなく話しました。
その勉強会の参加者は4人で、私のほかに3人の元統一協会信者が参加しており、皆同じマンションで愛澤牧師により脱会させられた人たちでした。

 

その数日後、私は、私の家に密告電話をした、当時仙台在住だったKに会いに行きました。
摂理の教えが歴史的事実に反していると主張するために愛澤牧師が示した歴史資料は、諸説あり絶対的なものではなく、摂理で教えていることはきちんと他の歴史資料に明記されていることなどを伝えました。
そして、あのような一時的な異常な環境の中で、拙速にも信仰を諦めるべきではないし、熟慮もないままに、また他の家庭の事情も知らずに、あのような非人道的な手法を他の信徒の親に無責任に勧め、電話一本で他人の家庭を苦痛と混乱に陥れるようなことはやめるべきだと話しました。
その翌週、二度目の愛澤牧師の聖書勉強会に参加しました。愛澤牧師は、私がKに会いに行ったことをその母親から聞いてすでに知っており、前回とは様子が一変し、氷のような冷たい態度で、私とだけは一切目を合わさず、終始一言も言葉を掛けてくることはありませんでした。
もしも彼が、報酬を目的にしつつも、私の信仰を真に心配する気持ちが少しでもあって脱会説得をしていたのなら、監禁を経てもなお私の信仰の変わっていないことを知って、もう一度話し合ってみようとするものではないかと思い、彼の不誠実な真意を見た思いでした。
また愛澤牧師は当時、信者が脱会を表明すると、誰に対しても、A4レポート用紙20枚に、入信から脱会までの経緯や考えの変化を詳しく書くよう、課題を出していました。
私は、家族のために一刻も早くそこを出なくてはと思い、一行飛ばしで大きな文字で一気に書き、内容は、教会やメンバーについての詳しい情報に触れないよう、抽象的な話や瑣末な事柄を詳しく書くことでページを満たしたので、脱会の真意のないことを容易に見破られるのではないかと怖々した思いで提出しました。

しかし、受け取った愛澤牧師は、その場で1分ほどパラパラと目を通し、「まだ斜め読みだけど、だいたい良く書けてるんじゃない?」と言い、その日のうちにきょうだいが帰宅することを許可し、その翌日には父の帰宅を許可し、翌々日には、結局私の書いたレポートについては何も触れないまま、「また摂理に戻るときは一言連絡してね、裏切られた気がしちゃうからさ。」と釘を刺したうえで、私と母を解放しました。

 

私はその後も、愛澤牧師によって監禁された教会メンバーの話を、直接、何件も聞きましたが、その手口は以下のようにいつも同じでした。

まず愛澤牧師は、自分が先に脱会させた元信徒を使って、他の信徒の親に電話をさせ、「お宅の子供が危険なカルト宗教に入っている。もはや親の説得には耳を貸さないから、やめさせるためには、摂理に詳しい愛澤という牧師に依頼するしか方法がない」と話をさせます。
そして、その密告に衝撃を受けた親が、藁をもすがる思いで愛澤牧師に連絡をしてくると、自分の教会に訪ねて来させ、最低1カ月間、短期賃貸マンションの一室を借りさせ、そこに本人と家族全員が仕事も放棄して詰めるようにと、監禁の手はずを整えさせます。

そこで、親に相談され依頼されたという形で、愛澤牧師が登場し、本人と対面します。その後は、家族に監視させ、外部との連絡を一切断たせた中で、連日、摂理に対する悪評を聞かせ、家族と共に脱会を迫ります。
口では「信じるか信じないかは自由だ」と言いながら、子どもが脱会を口にするまでは決して解放せず、心身ともに疲れ果てた中で本人が信仰を諦めると、愛澤牧師は親から、その名目の謝礼か献金かを問わず、成功報酬を受け取ります。

 

実際、私は、監禁後に父親が「今回のことで160万円かかった」と祖母に向かって呟いているのを聞きました。

当時1日約1万円強の部屋代と光熱費が24日分で約30万円、家族5人分の弁当や外食代と生活雑費が1日約1万円で24日分で約30万円とすると、残りの100万円が愛澤牧師に渡ったと推測できます。

 

私の友人メンバーMさんの親御さんは、愛澤牧師の監禁で脱会した元信徒から、密告電話で監禁を勧められ、そのためには相応の費用が必要だと言われ、提示された金額に憤慨し、その元信徒が送りつけた摂理批判の資料を、むしろ摂理の教会に提供するようにとMさんに手渡したという話を、私はMさんから直接聞きました。

 

私のそのマンションでの監禁が終わるころ、愛澤牧師は私と家族に、「今ここに統一協会の信者が2人入ってますよ、大変でね。」と言っていました。
夏休みや春休みの長期休暇になると、必ず、帰省したきり連絡が取れなくなるメンバーが数人出て、その顛末が分かるのは、メンバーがそのマンションから解放された後でした。

私が愛澤牧師の聖書勉強会を訪ねた時、雑談の中で愛澤牧師は私に、「摂理に対しては1980年代の終わり頃からずっとこの活動をしている」と言っていました。

 

その後だいぶたってから、摂理の信徒らが愛澤牧師に面会し、彼が繰り返してきたこのような監禁脱会説得について問いただしましたが、愛澤牧師は、「教会で親や信徒の相談に乗ったことはあるが、ほかの場所で脱会を説得するようなことはしていない。」と言い張りました。

しかし、上記のように、私に対する監禁説得は、その開始から終了に至るまで、終始愛澤牧師の主導の下に行われていたのであって、「親や信徒の相談を受けただけ」との愛澤牧師の弁解は通用するものではありません。

また、脱会説得の方法について、たとえ親や本人の同意・了承があったとしても、法律・社会通念・人道的観点に照らして、違法・不相当・非人道的な手法や言動、振る舞いまでが許されるわけではないのであって、愛澤牧師の脱会説得には、不適切で行き過ぎた点が多々あったことは到底否定できません。

私たちの教会は過去20年以上にわたり、数え切れないほどの信徒を愛澤牧師の監禁工作により失ってきたのであり、かろうじて信仰を守り抜いた信徒たちの中には、今も監禁当時の衝撃と精神的被害から回復できず傷ついた心を抱えて暮らしている人が少なくありません。

また、本人の信仰と精神に陰りを残さずとも、家族という最も親密な領域に、ある日突然愛澤牧師という見ず知らずの第三者が土足で踏み込んできたその足跡は、長い歳月が経っても決して消えることはなく、監禁された子どもの側にも監禁した親きょうだいの側にも、その心の奥深くには硬いしこりが残っています。

そして決して忘れてならないことは、心から天に感謝し、喜びで信仰生活を送っていた信徒たちが、その意思に反して脱会説得を強いられ、自分の教会や信仰、思考、選択を甚だしく批判・中傷され不信させられたことによって、「もう宗教はこりごりだ」という宗教不信、信仰不信、神様不信に陥ってしまい、もはやその生涯において天を仰ぎ魂の救済を受ける機会が、他ならぬ宗教者である愛澤牧師によって奪われてしまってきたということです。

 

尚、日本基督教団は、私たちの愛澤牧師についての抗議に対して、「日本基督教団は一教会一牧師の体制で、甚だしい逸脱がない限り牧師の自由な活動を認めているので、上からの監督や処罰の方針は取っていない」と回答しました。

しかし、日本基督教団所属牧師の肩書によって、またその教会施設をも用いて、長年にわたって上記のような監禁による脱会説得を無反省にも繰り返してきたことは、彼らの言う「甚だしい逸脱」に当たると考えるべきであり、その任命・監督責任を認めないことは甚だ無責任であり卑怯です。

 

この手記を記しながら、改めて、摂理の信仰とそれに対する迫害、また監禁による強制脱会について思いを致します。

私は大学2年生のとき、たまさか摂理に出会いました。

そして聖書と摂理の教えの中に、はっきりと神様、イエス様、そして信仰の道を見出せるようになり、摂理で充実した信仰生活を送っていました。

しかし監禁では、周囲の大人たちから、「あなたは他の教会を知らず、ろくに社会も知らないからそう思っているだけだ」と責められ、「もっと大人になって広い世界を知れば必ず変わる」と窘められました。

実際その頃の私は、摂理での貴重な体験や感動を、客観化・相対化して表現するだけの言葉を持たず、あの場所で自分を取り囲んだ誰一人のことも説得できませんでした。

自分の家族を守れず、自分の前後に監禁された信仰のきょうだいたちを守れず、何よりも、自分を人生の苦悩から救い信仰の道へと導いてくれた鄭明析先生の真実な信仰を証し通すことができず、無念にも内心の信仰だけを守って、痛切な無力感を抱いてそこから出てきました。

 

あれから17年が過ぎました。

この間に私は、政治、司法、文学、芸術、他の宗教など、社会の様々な言説と価値観を学び、そしてもっと深く聖書を読み、今ではもう少し、自分が最初から今まで経験してきた摂理の価値を、客観的かつ相対的な価値の中に位置づけ、その上でやはり自分が摂理での信仰を選び取る必然的な理由を、自分の言葉で説明できるようになったと思います。

 

私は、信仰の本質は自由にあると考えます。

自他を問わず、信仰の問題を扱う時にいちばん留意すべきは、その自由を損なわないことだと思います。

同じ宗教団体に属していても、同じ家庭に暮らしていても、人は決して全くの同じ思いで生きることはできず、あまりにも各々が異なっています。だからこそ個人は自由なのですが、その自身が背負うしかない自由から生じる不安や困難をコントロールし、これを最善に生かして用いていくために、人は信仰とセットで自分の自由を生きていくのだと思います。

そうであるならば、一体誰が誰の信仰を一概に否定し、批判できるでしょうか。

 

自分の子どもが摂理に通っているとして、摂理がどんな所なのかをインターネットで調べ、「詳しい」と言う“専門家”の言葉を信用し、その人に子どもへの説得を任せるからといって、それで子どもを理解し安心することができるのでしょうか。

摂理に通う目の前のわが子が、何を思い何を考えて摂理の信仰生活をしているのかを尋ね、子どもの持つ心と考えの自由を尊重してその言葉に耳を傾けるならば、同じ家庭に暮らしていても自分とは違うそのわが子の真意を知り、家族としての繋がりを強めこそすれ、その心と考えの核心である信仰を全否定することにはならないはずです。

 

私は摂理の教会に21年間通った中で、自分の思考と心の自由を放棄し誰かに預けてしまった「盲信者」を見たことがありません。人間はそんなに単純な生き物ではないと思います。

よって、やはり、監禁による強制説得には反対です。また、どんな合法的な手段や表現によってであれ、人の信仰心それ自体に干渉し、それを失くさせようとする行為にも、同様に反対です。

私は、一度信じてしまったから他の考え方ができなくなって今も摂理にいるのではなく、人間の心と考えについて、そして人間が生きることの意味について、いつも摂理の鄭明析先生が誰よりも深く正確に教えてくれるから、その摂理の御言葉を離れることができないのです。

 

思えば、私が摂理に出会った1995年は、バブル経済崩壊後の日本社会の混乱と低迷に追い打ちをかけるように、阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件が立て続けに起き、日本社会が一気に不安感と危機感を増した年でした。

マスメディアが数年間にもわたってあんなにも一宗教団体の報道に染まったのは、おそらく日本の歴史上初めての事態だったでしょうし、またそれ以来20年間にもわたって、日本社会がこんなにも宗教を恐れ、嫌悪し、拒絶し続けてきたということも、おそらくそれまでになかった事態だったでしょう。

しかしその一方で、4年ほど前、東日本大震災に襲われて以来、この社会の人々は、持続的な経済発展はもちろんのこと、科学技術、社会保障、家族の安全すらももはや盤石ではないことに、気づかされるようになりました。

ある日突然、家や職場、家族や故郷を奪われたら、一体それをどう受け止め、その先どうやって生きていったらよいのか、学者も政治家もその問いに明確な答えを与えることはできません。

以来、書店には聖書や仏教の教えを平易に説く書籍が平積みされ、論壇誌が「宗教」を前面に特集を組むことも珍しくはなくなりました。

今、若い人たちは、政治に対して無関心ではいられなくなったように、宗教に対しても、決して臆病でも無関心でもなく、それが自分と世界を知るための必須科目の一つであることを、冷静に真摯に理解し始めています。

 

私たちの先生は、この37年間、来る日も来る日もただひたすらに聖書の御言葉を伝え続け、また、イエス様の教えを身をもって実践し続けることを通して、この困難な現代を生きる若者たちの心をたえず励まし、その不安な足元に進むべき道を示し続けてくれました。そして、私たちの成長とこの世界の平和のため、日夜膝を折って祈り続けることに、その全人生を費やしてきました。

今から8年前、無念にも濡れ衣を着せられ、冷たく暗い獄に閉じ込められ、もはや群衆を前にしてはその御言葉を叫び伝えられなくなってからはいっそう、ボールペンを日に何本も使い果たしながら、血の滴る心情で、私たちのためにその切なる命の御言葉を文字で叫び続けてくれています。

私たちの先生の有罪を証明する物証は何一つなかったけれど、この8年間寝食を削って綴り続けた膨大な御言葉と手紙の山が、その真実な信仰の生を証することでしょう。

 

若者たちの将来にいっそう陰りが増すこの現代にあって、その人生とこの社会の困難から逃避するためにではなく、自分自身の心と考えを鍛え、この社会と繋がっていき、自分たちの生きる社会と時代に対する責任を果たすために、これからも多くの若者たちが摂理の先生に出会い、その御言葉を通して、聖書にこめられた神様の思いと考えを学んでいくでしょう。

そして、人間の人生は決して功を成し財を成すためだけにあるのではないこと、今も生きてはたらかれる神様が、何のためにこの宇宙万物と人間を創造し、今を生きる私たちに何を望まれ期待されているのか、その創造の秘密と目的とを見出していくことでしょう。

 

かつて日本社会で起きた摂理に対する無節操な批判と嘲りは、単に聖書と宗教に対する無知からくる恐れと不安の表明に過ぎなかったのではなかったか、今も子どもたちの信仰に立ち入りむやみに反対する親の脳裏にあるのは、20年前のかの事件を起こした悪名高い宗教団体や、または宗教の名を借りて高額な壺や印鑑を売りつけた詐欺的宗教団体のイメージであって、実はそれ以外には、なんら宗教を分別する基準を持ち合わせていないのではないかとさえ思われます。

摂理の信徒たちの親御さん方にぜひともお願いしたいことは、摂理の“専門家”と称する金銭目的の悪徳牧師や弁護士による一方的な批判や中傷、無責任なマスメディアやネットメディアの垂れ流す扇情的な報道を盲信するのではなく、拙くとも真実に自分の考えと経験を語り、摂理と自身の信仰について父母に正しく理解してほしいと切に願っている子どもたちとの対話を通じて、その実相を知り、不安を解消していただきたいということです。

 

尚、私はこの手記に、自分が見て感じたことをその体験の通りに書きました。自分の記憶の中に無いことは一つも書いてなく、誇張して表現したところもありません。

また、決して、愛澤豊重牧師の人格や信仰を、中傷するものではありません。

もし再び、聖書や信仰について、愛澤牧師と真に自由な環境で議論できる機会があるならば、それは私にとり望外の喜びです。

以上


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