【日本の摂理歴史6】人生:摂理との出会い 90年代(私の場合) Ⅰ

<人生:摂理との出会い 90年代(私の場合)>

人生、一度や、二度は聖書を開く「時」があると云います。私も摂理でバイブルスタディを学ぶ前には、2度ほど聖書を開く「時」がありました。かといって、幼少期からキリスト教に接する機会があったわけではなく、近所には教会もなく、親族は曹洞宗のお寺にお世話になり、お正月は近くの神社にお参りし、12月には意味もよく分からずに、クリスマスをささやかに祝うような家で育ちました。

91年、聖書を学ぶ最初の機会は大学1年の時に訪れました。ゼネコンで働いていた父親の影響もあって、理系の勉強をするのであれば、「世の中の役に立つ」工学を学んでみたいと思い土木工学を専攻しました。大学の勉強は厳しくもあり1年2年とそれなりに充実していた一方で、本当の意味で社会のためになることは何なのか、人の益になるということはどういうことなのか、考える時間を多く持つようになりました。時に勉強の意義を見失い、大学を辞めようと思った時期もありました。
そんなとき、読み漁っていた日本土木史の本から、札幌農学校の二期生廣井勇(新渡戸稲造や内村鑑三と同期のクリスチャン。小樽港を建設した土木技術者)の言葉を見つけました。

「もし工学が唯に人生を繁雑にするのみのものならば何の意味もない事である。
是によって数日を要する所を数時間の距離に短縮し、一日の労役を一時間に止
め、人をして静かに人生を思惟せしめ、反省せしめ、神に帰るの余裕を与へない
ものであるならば、我等の工学には全く意味を見出すことが出来ない。」

まだ聖書も手にしたことのない学生でしたが、この言葉が心に響き、日本のエンジニアにもこのような人がいたのか!と感銘を受け、大学に踏みとどまりました。
平日は、学部の勉強に追われましたが、日が暮れれば、親しい友人と語り、東京を徘徊し、長期の休みには日本中を旅して、普通の大学生活を送っていました。キャンパスは理系キャンパスでありながら、文系の授業も印象に残る教授が多く、学外から来ている英語の教授の紹介で、フレンド派(クェーカー)の教会に英語を学びに行く機会を得ました。生まれて初めて行ったキリスト教の教会では、若い宣教師の夫婦が毎週出迎えてくれて、楽しくゲームをしたり、時にはアメリカからのゲスト(サラリーマンから図書館の館長、映画女優まで)が立ち寄ってくれて、仕事の話、信仰的な話もしてくれ、ある時は真剣に神様の愛について語ったりしてくれました。それまでまったくキリスト教には縁がなかった私でしたが、人格的で、感情表現豊かな宣教師さんたちに触れながら、心和ませてもらい、気がつけば、毎週足を運ぶようになりました。もう100年以上も続いているその集まりは、今思えば、明治時代にタイムスリップしたような場所で、キリスト教文化とクリスチャンの方々との最初の出会いは本当に幸いだったといわざるを得ません。年に2,3回は聖書を開いて話しもしてくれたのですが、残念ながら、何を伝えてもらったのかさえ覚えていません。

その後、不思議にも大学生活の中で、西洋哲学やキリスト教文学も読むようになり、東西冷戦が終って間もないドイツを尋ね、キリスト教に接する機会が増えていったのですが、大学3年になる春にフィリピンに三週間滞在することになりました。ここで二回目に聖書を開く機会が訪れます。今でいうスタディツアーですが、当時はその先駆けのような感じでした。当初フィリピンに行ってみたいと思った理由は、第三国で日本のODAとかは本当に機能しているだろうか、海外の支援とかは意味があるのかなど漠然としたものでした。
しかし、実際に訪ねたフィリピンは、厳しい階層社会であり、生きるスラムに住んでいる人から、政治家に影響力を与える神父さん、華僑の経済人など様々な人に会いながら、衝撃の連続でした。「人間はこれほどまでに素晴らしい存在でもあるけど、醜くもあったり、残酷でもあったりするんだな」と人間の素晴らしい面と悪い面の両方を見るしかないところに「曝され」ました。
国民の9割がクリスチャンであるフィリピンの方と触れ合う中で、聖書の話も何度か聞きながら、どれほど、この書物が人間に社会に影響を与えるのか、思い知るようになりました。しかし、聖書自体をしっかりと教えてくれる人はいませんでした。ただ、そのフィリピンで得た自分の中での結論は聖書を開く一歩となりました。
そのような体験から出た一つの自分の「問題」あるいは「結論」は、
「社会をより良くする方法は、教育、政治、経済、いろいろあるとしても、それぞれ限界はある。結局、この社会を人間が司っているから、問題の根本は人間にある。人間一人が変化できなければ、絶対に良い社会にはならない。」「そして、この人間一人の価値がどれほどのものなのか、人間の命はどれほど貴いのか知りたい」これが、22歳の自分の一つの結論となりました。

<人生:摂理との出会い 90年代(私の場合) Ⅱ>に続く


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