【書評・コラム】<日本人:日本教徒>日本人は日本教徒か? 1

世界にはどのような宗教があるかと聞かれたら、日本人は一通りは答えるでしょう。
「キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教…」
書店に並ぶ、各宗教の入門書も後を絶たない。宗教が分からなければ、世界で起こっている事象も理解不能だということも分かっている。仏教の伝来やヨーロッパのキリスト教と世界史など歴史的な話をすれば、それなりの答えも返ってくるし、日本でさまざまに分かれた仏教の教祖だって名前は出てきます。しかし、多くの人は「そこまで」でしょう。

私たちの先生は、かつて、日本で御言葉を伝えられた時、「宗教に溺れるな」とおっしゃったことが
あります。宗教の指導者なのに、宗教に溺れるなとは!!
摂理の御言葉を学んでみると、確かにこれは溺れるものでもなく、盲目的に信じるものでもないなと
分かります。とはいえ、日本人のもつ宗教に対する偏見もさることながら、宗教を俯瞰しよう、知識としては知っておこうとする日本人は現代人だからということではないらしい。
今日はこのHPのタイトルにも引用させてもらった「日本教徒」について書いてみます。

まず、山本七平がいうところの日本教徒とは、簡潔に述べると以下のような規範を自分の中に有している人のことを言います。

〇「恩」を重んじる(「人をも人と思わぬ」「世を世とも思わぬ」者は滅びる。もう少し砕けた言い方をすれば「忠臣蔵」的忠誠や恩が規範になっているということ)

〇物事をより「科学的」「合理的」に考えること

〇「ナツウラ(自然)の教へ」(日本教的自然法→これをハビアンの表現を借りれば「柳ハ緑、花ハ紅、是ハ只自然ノ道理」ということで、自然の秩序たるものを重んじる)

上記が日本教の暗黙の教義?というところでしょうか。
そして、山本七平のいう最初の日本教徒は、不干斎ハビヤンだ。
彼の生まれは、1565年、最初に禅門に入り、恵俊(恵春)と名乗ってたらしい。十九歳でキリシタンに改宗し、キリスト教名をハビヤンといった。まれにみる秀才で、二十五、六歳ですでに天草のコレジヨの日本語教師であったそうだ。
二十八歳で「ハビヤン版平家物語」を著す。これは、ただの「平家物語」ではなく、外国人パードレ(神父)への日本語及び日本学の教科書として編纂したもので、彼の視点で見た日本なるものの紹介となっており、自らの「ものの見方・考え方」とその基本になるものを「平家物語」に託して書き記す形となった。
さらに1605年、日本人にキリシタンの教えを伝えるための「妙貞問答」を著す。この中で、彼はまず神道・仏教・儒教を批判し、キリスト教(キリシタン)を勧めている。(ここで、キリスト教と書いたが彼が説いたキリスト教は当時の西洋のキリスト教とは違うものとなっていたので、ここからは「キリシタン」としよう)
しかし、1606年に俳人松永貞徳の紹介で、林羅山(儒学者)とその弟子の信澄に会い、論争したことが「排耶蘇」に記されていて、その後まもなくキリシタンを棄教したらしい。
そして、棄教後十数年後(彼の死の前年)に書かれたものが「破提宇子(ハデウス)」だ。
この書は、山本七平をして「排キリシタン文書の最高作」だと。当時、キリシタンを知る日本人で、彼以上の人は考えらず、その彼の批判であるから、他の排キリシタン文書とは格が違うと。
日本の既存の宗教(神道も儒教も宗教とするならば)を仏教、神道、儒教を批判し、さらに当時の日本のキリスト教を排撃したハビアンだが、彼は一体、「何教徒だったのか」さらに、この脱宗教人的立場は現在の日本人の無宗教状態と関係があるのではないかという問いが、山本七平の名著「日本教徒」の導線となった。


関連記事

コラム

  1. 【書評・コラム】<日本人:日本教徒>日本人は日本教徒か? 2

    (前回の記事はこちら) 先に挙げた3つの特徴は著「日本教徒」から私見でまとめてみたものだが、全文を…
  2. 【書評・コラム】<日本人:日本教徒>日本人は日本教徒か? 1

    世界にはどのような宗教があるかと聞かれたら、日本人は一通りは答えるでしょう。 「キリスト教、イスラ…
  3. 【書評&コラム】脱・「肩書き人生」

    「人は人として生きるものだ」私の好きな説教のひとつです。(以下御言葉より) 一国の大統領になっ…
  4. 【書評&コラム】日本人の覚醒

    「日本人が宗教の必要性を認むるまでに五十年経過った、彼等が基督教の必要を認むるまでにさらに五十年経過…
  5. 【書評&コラム】黄金の十代かガラスの十代か・・・

    論語には、 子曰く 「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天…
ページ上部へ戻る